鉄馬に乗った流れ者
トップページ  » 不定期日記  » ターミナル

ターミナル


 
たまには普通の話をしようと思うんだけどいいかな?

最初にお断りを入れないと、普通の記事を書きづらい雰囲気のブログってどうよ?

それが、自分のブログだなんて軽く倒れそうですよ。(棒読み)どうですか?温めてくれます?







ちょっと、学校での授業の話をしようと思います。

今期の授業範囲で、ともかく印象的だったのが「終末期ケア」です。






平たく話すと「死に向かう人にどの様に接していくべきか?」です。







医療の発達のおかげで長命なったわけですが、何でもかんでも

「生きていれば」それでいいのか?と死から全力で逃れる考えへの

疑問がこの投げ掛けなどにも含まれると考えます。




そして、それを見守る側には「お前はどのように死を迎えたい?」と

突きつけられるような気持ちでした。





実はこの辺り、「バイクで世界一周」を通して、心境に大きな変化があった

部分でもあります。当時からブログを読んで頂いている人はご存知だと思いますが、

同時期におっさんの父上が他界しました。




父上の瞳孔が開き、最後の一瞬を看取ったのはおっさんです。

周囲にはおっさんの母上、姉、弟と家族が揃っていました。





今でも考えます。「家族に看取られながら最期を迎えることの出来た

父上は幸せだったのか?」と、それは本人の気持ちなのだろうか?

親父を失った家族側の気持ちではないだろうか?と振り返る時があります。




無理な延命はせずに最後を迎えた親父。その親父が苦しみながら最後の

力を振り絞って眼で訴えてきたものは「母さんを頼む!」だったと思います。



それは、あの親父の最後から変わらない感想です。




頭にバカが付くほど強情な男だったので、最後の最後まで素直に言葉に出せず。

いよいよこれで最後だと悟った時には、言葉を発する事が出来ず。眼の前に居る

息子に想いを託した。それが親父の最後だったと考えます。



その時の親父の気持ちを考えると、絶望していたかもしれません。最愛の人を残して

自分が先立つ気持ちを考えると、あの親父ならそう考えていると思います。




生前には母上に「俺が看取ってやる」と豪語していた親父




ただ、その絶望のなかで息子という頼みの綱があった事だけが、クモの糸の様に

儚い希望になったかもしれません。




あの、最後の一瞬で親父が何を思ったのか、本当のところどうなのかは永遠の謎です。

しかし、あの死の一瞬から学び取る事は多かったと振り返ります。






「終末期ケア」の授業はそんな死を思い出させるものでした。




おっさんは一時期、「どうせ、俺はその辺で野タレ死ぬのさ」なんて考えていた時期が

ありますが、本当にそんな風に最期を迎えれるものなのか?意外に最期のその瞬間に

願うものは身近な事なのかもしれません。だから今は身近なものを大切にしたいです。



人気ブログランキングへ にほんブログ村 バイクブログ キャンプツーリングへ

  at 20:00
コメントを書く




情報を記憶: 評価:  顔   星